コンシェルジュオフィス — 生駒ビルヂング est.1930 / 登録有形文化財
Story商人の街“船場”
ビジネスの中心地“船場・北浜”
コンシェルジュオフィス北浜T4Bは、淀屋橋・北浜・本町を抱える船場エリアにあります。
船場とは、豊臣秀吉による大阪城築城とともに生まれた地勢的概念で、北は土佐堀川、東は東横堀川、西の西横堀川跡、そして南は長堀通に囲まれた一帯を指す城下町です。
大阪城に通じる東西へ伸びる道が船場の本通りであり、この道沿いに大商人が屋敷を構えるようになりました。
大阪経済界の変遷
明治維新を経て、新政府に政権が移る混乱期に旧藩への貸付金を回収できず、船場の豪商らは、住友や鴻池といった数家を残し倒産の憂き目にあいます。そんな時に新政府の役人として颯爽と現れたのが五代友厚です。家族経営からの脱却を説き、新しい企業形態である「株式会社化」による大阪の経済復興の幕開けです。
中でも地の利を生かした紡績業は、経済界を牽引する存在へと成長しました。大阪には優良な綿産地の河内・和泉地方があり、一方で海外の紡績ノウハウと機械導入による量産化に成功したのです。東洋紡や丸紅、伊藤忠などもこの時期に貿易で飛躍しました。
産業の発展とともに船場は大きく変貌を遂げていきました。市内電車が通るようになり、その開通に伴って堺筋が約4倍の広さに拡幅されたのです。この堺筋には三越呉服店や白木屋呉服店が進出し、後を追うように銀行やその他企業が社屋を構え、堺筋は大阪随一の筋となりました。
船場の繁栄とともに大阪市も大きく変貌。1925(大正14)年には、第二次市域拡張により市の人口200万人超を達成。東京を抑えて人口・面積ともに日本第一の都市となり「大大阪」の名を冠されます。
大阪が世界的に飛躍したこの大大阪時代に、生駒ビルヂングは竣工しました。
現在でこそメインストリートの座を御堂筋に奪われた堺筋ですが、その沿線には歴史と多くの優良企業を有する北浜という、大阪を代表する商業地区が存在感を放っています。
船場商人の先進性が息づく淀屋橋・北浜・本町界隈は、現在でも大阪におけるビジネスの中心地と認識されています。